OFFICE CATALOG Vol.68 2018 900-901(902-903)

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内田洋行は創業108年を迎えます。UCHIDAOFFICEcatalogVol.6890019101925トーホー自動番号器L.C.Smithタイプライター 創業者・内田小太郎(宗主)は、明治4年(1871年)、多久藩(現在の佐賀県・多久市)の柔術師範であった内田達蔵宗孝の次男として生を受けます。当時は、明治維新で武士階級は崩壊。“一家存亡の危機”となり貧窮悲哀を体験した内田小太郎は、パイオニア精神をもって数々の挑戦を企てました。 「富国強兵」「殖産興業」が叫ばれていた明治26年、内田小太郎は22歳で単身上京し、逓信省文官試験に合格して横浜郵便局に奉職したのち、明治33年には、日清戦争直後の台北郵便局に転勤して台湾土地調査局の測量隊員として台湾全土をめぐりました。帰国した直後に日露戦争が勃発すると、戦地の鉄道野戦隊に志願して新天地・満州に向かいます。そして終戦。鉄道野戦隊は設立されたばかりの南満州鉄道株式会社に引き継がれ、明治40年、36歳のとき、満鉄社員となりました。 しかし内田小太郎は、内田家再興を目指して38歳にして満鉄を退職。測量技師として身につけた技術を活かして、明治43年(1910年)、満鉄の事業拡大に不可欠であった測量・製図器械を取り扱いの中心とする満鉄御用商「翠苔号(すいたいごう)」(後の内田洋行)を設立して独立しました。創業者内田小太郎のパイオニア精神内田洋行、駆け抜けた100年100YearsofUchidaYoko1910年(明治43年)中国の大連で創業した内田洋行。『洋行』とは、中国語で“外国人の店”という意味をもちますが、それと同時に、当時は多くの人々の挑戦意欲をかきたて、未知の領域に挑む、“フロンティアの気概”がイメージされることばでした。 自家生産の文具を販売する傍ら、欧米からも事務器械を輸入するなど、卸業として事業を拡大しました。また、経営近代化に直結する事務用品を扱う関係上、業界では珍しく海外の新鮮な感覚とアイデアを活用したPR誌で国内外の最先端製品の活用方法を啓蒙し、市場を切り開いていきました。1920年代より、国産初の自動番号器やタイプライターを製造し、「トーホー」ブランドとして販売しました。1917市場開拓する卸売業“技術者必携”と称されたヘンミ式計算尺 事務作業の効率化、科学立国への関心の高まりから、欧米より持ち帰られた計算尺を見本に日本独自の改良を加えた逸見式計算尺が開発されました。当社は戦前から日本国内の総代理店として、戦後には計算尺競技会に協賛するなど、その普及促進を一手に担いました。測量器械宗主内田小太郎
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Information90119481953196219701981内田科学教材実験説明会1984年CAI-ACE1949年『内田科学教材型録』1948年マイクロスコープマジックインキタイヨー計算機ケント製図器械学校教育再興のために 戦後の復興期には、普及につとめた「計算尺」が学習指導要領に採用されたことから、全国規模で代理店を募集し学校への提供を開始しました。しかし新学制で突如として計算尺が不採用となると、“科学教育に資するもの”として顕微鏡などの科学教材販売に転換。学校教員に理科実験の方法をとく「内田科学教材実験説明会」を全国の教育委員会と協力して開催するなどにより、学校現場の科学教育の普及に努めました。 その後、学校教育の復興とともに、施設設備や教育情報化などの事業を、業界に先駆けて取り組みました。業界に先駆け「ビジネスショウ」を開催 パイオニア精神を引き継いだ内田憲民(初代社長)は、1953年、米国から持ち帰って製品化した「マジックインキ」、さらに当時製図器械で高度とされたドイツ式で開発した「ケントKD型製図器械」を次々に発表。さらに、1955年には、国産の手動計算機「タイヨー計算機」の販売を開始。業界初の実物展示会「ビジネスショウ」を考案するなど、新たな事業開発に努めました。純国産初のオフィスコンピュータ「USAC」日本万国博覧会に出展教育の情報化推進 “事務能率の向上”“科学立国の実現”のため、1957年、世界初の小型リレー式計算機「カシオ14-A」を完成させたカシオ計算機と総代理店契約を締結。リレー式計算機販売の好調な実績を経ると、国内では未知の世界であった電子計算機分野に取り組むべく、1962年、電子計算機の開発に成功していたウノケ電子工業(石川県)に経営参加。純国産初の超小型電子計算機「USAC(ユーザック)」を発表します。その後もIC搭載機などを次々に開発したほか、業界で初めて、ハード・ソフト・保守サービスなどのアンバンドリング(分離提供方式)やリース販売を進め、オフィスコンピュータの普及を図りました。アジアで初めて開催された日本万国博覧会に「オールマイティデスク」を出展しました。未来のオフィス空間を示唆する斬新なデザインは、まさに今日のオフィスライフを予見させるものでした。 教育現場のコンピュータ化に際してコンピュータ教育システム「TES(TotalEducationalSystem)」を発表。1984年、コンピュータと教育工学機器を融合したパソコン教育システム「CAI-ACE」の発売を開始しました。Visual&Voicecommunicationをキーワードに、5つの領域(パソコン・語学・ワープロ・CAD・視聴覚)に分けてシステムを開発した、「CAI-ACE」は国産唯一のハード・ソフト一貫開発のパソコン教育システムでした。オールマイティデスク1965年USAC1010

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